○タンカとは?


■タンカとは
タンカ(Thanka)は、チベット文化圏(中国チベット自治区、ネパール、ブータン、モンゴル、北インド方面)で作られる布に描かれた宗教画です。チベットでは「タングゥー」と呼ばれていたようです。
西チベットでは、ふつう白亜と動物の膠によって地塗りされた綿織物に描かれ、掛け軸のように表装されて飾られます。顔料は伝統的な鉱物からのものと、染料から作られたものを使われました。
タンカは、インドからチベットへ伝播した仏教がその地に根付き、チベット文化圏で発達した独特の宗教画です。


(左)19世紀のチベッタンタンカとお土産のタンカ(右)

チベットのタンカの伝統は、インドによって生み出されました。また、中国人は、自然の具象化をチベット人に教えました。チベット人は、これらのふたつの大きい影響を受け、絵画の表情がより豊かなスタイルを生み出しました。
タンカは、一般に寺院や屋内の祭壇に掛けられます。それらは、信仰として祈りの時に使われます。大きいタンカは、例年のセレモニーの時に広げられ、修道院の壁などに掛けられます。
また、巡礼者は、守護尊のタンカを巻いて旅行に携帯しました。このことは、広大な大陸を横断して様式を広めるのに役立ったと考えられます。これらは、芸術品としてではなく信仰の対象として扱われます。豊富な図像学的イメージそのものが、宗教の実践のための神聖な道具となるのです。
チベットでは、修道僧と一般の絵師とがタンカ制作を行いますが、ネパールではカースト制度が色濃く残り、14世紀以来、ボゥワ(Paubha)の絵画芸術がカトマンズ盆地の現住民であるネワール族の伝統として伝承されたため「絵師」を意味しているチットラカール(Chitrakars)というカースト階級の人々の仕事でした。
しかし現在は、多少の例外も増え始め、他の社会的階級(ネワール以外)とネワールを含むこのカースト制度の外でも多くの他の人々により「アート」として製作されているのも事実です。Dev Kumar Lama師は、中国領チベットのカサからネパールに来た絵師で、チットラカールではありません。ネパールのカーストでは「ラマ」階級に属しています。
お土産用のタンカは別にして、タンカ作品は『儀軌』という取り決め事に沿った色や構図で描かれます。また、工房の制作として多くの絵師の手が一枚の作品にはいる場合もあります。通常、大切な部分については、工房の当主が仕上げの筆を入れます。
また、タンカは信仰の対象として礼拝されることが考慮され、一般の芸術とは異なり、作家の名前は決して署名されることがありません。
背面に書かれるのは、開眼時に書き込まれる「マントラ」の文字だけです。

■タンカの必要性
本来、タンカ絵画は宗教の理由だけのために必要とされました。
寺院の特別な法要にその目的に叶った尊像が使われます。この場合には、通常より大型のタンカも使われる場合があります。
僧侶がタンカを必要とするのは、修行時に師より定められた尊格を想起する手助けとして尊像を前にします。
また、在家のチベット人がタンカを必要とするのは、親類、縁者のための四十九日の法要1などです。
しかし今日、タンカは、主として外国の観光客顧客から要求を満たすように、商業用の目的のために多く作られます。チベットやネパールの絵師にとって、確かに要請の内容が変わったことに注意することが必要です。
宗教面での要請はもちろんまだ存在します。多くのケースには、一種の混合があります。例えば、タンカを外国の仏教徒がチベットまたはネパールの画家に求めるのことがあります。そのような後援者がタンカにおける宗教の言外の意味を十分に認識している間、それらの芸術的な価値について深く認識可能です。
外国または観光客市場の愛顧は、チベットおよびネパールの絵画伝統への誤解した要請がありました。多くの贋のタンカ(儀軌に反した)が作られます。奇妙な色の描き足し、図像学的なアイデンティティが完全に切り刻まれた図像などが、カトマンズの市場に満ちています。
一方では、何人かの西の後援者は、高価な支払いをして本当に儀軌に忠実なよい仕事を求め、伝統どおりのタンカを作らせました。



戻る


このページの無断転用は固くお断り致します。